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CV: 伊智生士冶
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Illustration:春乃壱
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尾張の大名。若い頃は奇矯が目立ち大うつけと呼ばれたが、桶狭間にて今川軍を撃破して、一躍その名を天下に轟かせる。以後も革新的な政策と戦術で諸国の大名を次々と打ち破り、天下布武への道を邁進した
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CV: 古川小百合
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Illustration:山中虎鉄
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美濃の大名・斎藤道三の娘。政略結婚で織田信長の正室となった。「美濃の蝮」と呼ばれた父の血を継ぎ、しっかりした気性の才女であったといわれる。本能寺の変で、自ら薙刀をふるって戦い、信長と運命を共にしたといわれる
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CV: 岡野浩介
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Illustration:荻谷薫
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後の天下人。農民出身だが武士への道を志し、最初は草履取りとして織田信長に仕える。墨俣一夜城築城や金ヶ崎の退き口等、傑出した知略と人望をいかして次々と功績をあげ、「織田五大将」と呼ばれるまでに出世を遂げた
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CV: 弦徳
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Illustration:一徳
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織田家臣。織田信長の弟である信勝に家老として仕え、信長に叛旗を翻すも敗れた。信勝の死後は、信長に才を買われ織田四天王の筆頭として信長の覇業を支え続けた。「掛かれ柴田」と呼ばれ、信長没後は羽柴秀吉と対立した
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CV: 浜田賢二
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Illustration:仙田聡
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織田家臣。黒、赤、金を好みこの三色の甲冑、陣羽織を着用していた。鉄砲に長じ、信長の伊勢攻略、長篠の戦いでは鉄砲隊の総指揮を執って勝利に貢献する。本能寺の変後、秀吉と戦うも敗れ、所領を失う。その後小牧・長久手の戦いではその軍歴を買われ、秀吉方の武将として活躍した
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CV: 伊智生士冶
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Illustration:杉浦善夫
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小姓として信長に仕えた後、赤母衣衆に選ばれる。槍の名人で「槍の又左」と呼ばれた。若いころは血気盛んで、喧嘩早く派手な格好をした傾奇者であったといわれる。のちに信長から能登を与えられ大名となった
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CV: 三澤紗千香
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Illustration:HACCAN
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前田利家の正室。聡明で、武門や学問に通じ、あらゆる面で夫の利家を助けた。秀吉の妻・ねねと仲がよく、家が隣同士だったころには、毎日のように互いの家で話し込んでいたといわれている
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CV: 浜田賢二
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Illustration:黒葉.K
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織田家臣として、各地の合戦で戦功をあげる。また軍事だけでなく政治面においても安土城の普請奉行を務める等、優れた手腕を発揮した。器用でどのような任務もこなしたことから、米のように欠かせないという意味で「米五郎左」と称された
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CV: てらそままさき
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Illustration:JUNNY
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甲斐守護。自身を廃嫡しようとした父の信虎を追放し、家督を継ぐ。孫子の旗を掲げ、天下最強といわれた騎馬軍団を率い、甲斐・信濃・駿河へ勢力を拡大した。好敵手、上杉謙信とは5度にわたり川中島で対決した
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CV: 浜田賢二
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Illustration:春乃壱
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飯富虎昌の弟。武田信玄に仕え、功績を立ったことから侍大将となり、その猛将ぶりから「源四郎の赴くところ敵なし」と称えられた。兄・虎昌死後は、軍装を赤で統一した最強部隊「赤備え」を引き継ぎ、軍事はもちろん、内政面でも信玄を補佐した
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CV: 伊智生士冶
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Illustration:春乃壱
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武田信玄に仕え、家中でも特に智謀優れた名将であったことから「一国の太守の器量人」とまで賞賛された。原虎胤の死後、その後を継いで美濃守を称する。多くの合戦に参加しながら一度も負傷せず、「不死身の鬼美濃」と呼ばれた
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CV: 中村悠一
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Illustration:タカヤマトシアキ
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稀代の謀将。若いころよりその才を武田信玄に見出され寵愛された。昌幸もこれに応え、三方ヶ原の戦いでは浜松城籠城する徳川家康を三方ヶ原におびき出す策を信玄に具申し、武田家大勝の功労者となる。武田家滅亡後は台頭する豊臣秀吉に仕えた
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CV: 古川小百合
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Illustration:さんば挿
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武田信玄に仕え、各地を回って芸や舞を見せ、敵国の情報を収集する「歩き巫女」の頭領を務めた。千代女は甲賀流忍術の流れを汲む名家・望月家の血族であり、200人を超える少女に祈祷や忍術を教えたといわれる
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CV: 野宮一範
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Illustration:Wolfina
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16歳で武田信玄の小姓として仕える。信濃攻略戦で頭角を現し、侍大将に昇格。その後も上杉謙信の抑えとして海津城代に抜擢される等、家中で重きをなし、優れた用兵から「逃げ弾正」の異名で呼ばれた
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CV: 弦徳
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Illustration:一徳
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武田信玄の軍師。板垣信方の推挙で武田家に仕官し、数々の合戦で活躍。築城術にも優れ、海津城の普請も手がけた。第4次川中島の戦いで「啄木鳥戦法」という挟撃の策を立てたが、上杉謙信に見抜かれる。勘助はその責を負うように敵陣へ突入し、討ち死にした
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CV: 滨田賢二
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Illustration:RARE ENGINE
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武田家臣。武勇に優れ、信濃攻略や木曾攻め等で活躍。「武田軍の猛牛」と評された。また信玄の西上作戦では、美濃岩村城攻略を担当。美女として名高い、亡くなった遠山景任の妻・おつやの方を正室として迎え入れることで城を攻略した
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CV: 伊智生士冶
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Illustration:RARE ENGINE
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安芸の戦国大名。地方領主から中国地方の覇者にまで昇りつめた、稀代の智将。巧みな策略と戦略を駆使し、かつて仕えていた大内家・尼子家を滅ぼし、10カ国の領主となった。3人の息子に、結束することの重要性を説いた「3本の矢」の逸話も有名
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CV: 田村ゆかり
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Illustration:広岡政樹
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安芸国の国人・吉川国経の娘で、毛利元就の正室。隆元・吉川元春・小早川隆景の母。元就とは政略結婚ではあったが、夫婦仲が良く、妙玖が存命中、元就は側室を置かなかった。その死後も、元就は息子達に供養を惜しまぬよう命じている
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CV: 三浦祥朗
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Illustration:Daisuke Izuka
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兄の吉川元春とともに、父・元就亡き後の毛利家を支える。豊臣秀吉に「日ノ本の西方は小早川隆景に任せれば安心」と言わしめた智将。毛利家が豊臣家に降ってからは、秀吉に積極的に協力する。四国・九州征伐で軍功をあげ、のちに五大老の一人となった
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CV: 小野大輔
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Illustration:平坂康也
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毛利元就をして、「我は戦では元春に及ばぬ」と言わしめた猛将。羽柴秀吉との戦いでは劣勢になり和睦するが、その後に織田信長が死んだことを知って激怒。小早川隆景の説得で追撃は断念するも、大の秀吉嫌いになったという
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CV: 土谷麻貴
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Illustration:クロサワテツ
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熊谷信直の娘。吉川元春の正室。相当な不美人だったという説があるが、元春は自ら望んで彼女を娶り、信直は元春に忠誠を尽くしたという。五龍姫と不仲だったともいわれるが、元春との仲は円満至極で、元長・元氏・広家らを産み育てた良妻賢母であった
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CV: 野宮一範
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Illustration:碧風羽
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北近江の大名。浅井家を大きく成長させ、織田信長と同盟を結ぶ等して全盛期を築いた。信長が浅井家と誼の深い朝倉家と敵対関係になったことで、深く思い悩み葛藤するが己の正義の為に魔王となった信長と戦い抜くことを決意した
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CV: 岡野浩介
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Illustration:春乃壱
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越前の国主。将軍・足利義輝が松永久秀によって暗殺され、信長がその弟・義昭を奉じて上洛を果たすと、義景に上洛を二度も促すが義景はこれを拒み、両家は対立関係へと陥る。天下を望みながら表の舞台には立とうとしなかった不思議な人物
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CV: 平野綾
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Illustration:春乃壱
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織田信長が最も愛した妹。戦国時代一の美女として名高く、織田家と浅井家の同盟の証として浅井長政に嫁いだ。聡明な女性であった。小谷城が陥落する際は長政と命運を共にしようとしたが、織田家臣に救出され、長政亡き後も乱世を強く生きた
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CV: 杉田智和
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Illustration:風間雷太
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浅井家家臣。姉川の戦いでは信長の本陣へ突撃をかけ信長まであと一歩のところまで迫るも援軍の徳川家康に阻まれ敗れた。浅井家滅亡後は信長に仕えたが、追放され行方不明になった
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CV: 伊智生士冶
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Illustration:タケダサナ
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朝倉家の親族衆。武勇に優れ、厭戦気味な当主である義景に代わって総大将を務め続けた剛将。また、下坂本の合戦では織田家の猛将の森可成を討ち取るという手柄を立てた。主家が滅亡した後は織田家に仕えた
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CV: てらそままさき
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Illustration:小山宗祐
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今川家第9代当主。異母兄を倒して家督を継ぎ、駿河・三河・遠江を領して、今川家の全盛期を築き上げる。しかし、絶対的な信頼を寄せていた太原雪斎が没した後、戦術を誤る。織田信長を討伐すべく出兵したものの桶狭間で信長の奇襲を受け討ち死にした
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CV: てらそままさき
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Illustration:風間雷太
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はじめは九英承菊と名乗って、駿河の善得寺や京都や建仁寺で修業をしていた。非常に秀才であり、その噂を聞きつけた今川氏親に駿河へ呼び戻され、今川義元の教育係となる。以降、今川家の軍師としてあらゆる面で義元を支え、今川の勢力拡大に貢献した
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CV: 古川小百合
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Illustration:植田亮
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松平元康(後の徳川家康)の正室。父は今川家一門の関口氏広。伯父の今川義元が桶狭間で討ち死にしたことから、夫の元康は岡崎へ帰還。瀬名も人質交換により、子供とともに岡崎に移った。しかしこれが原因で、父の氏広は氏真の怒りを買い、切腹を命じられた
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CV: 伊智生士冶
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Illustration:仙田聡
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今川家の重臣・朝比奈泰能の子で、掛川城主。義元の死後、今川家を離反する諸将が相次ぐ中、最後まで氏真を支持した。徳川軍の包囲を受けて、奮戦するも敗れて伊豆へ逃亡した。後に主君である氏真は家康の下に出向くものの、泰朝はこれに従わなかった
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CV: 斎藤千和
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Illustration:碧風羽
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井伊直政の養母。当主の直盛、直親が相次いで戦死し、断絶の危機にあった井伊家を救うため、女性ながら当主となる。武田信玄の侵攻により所領を失うも徳川家康の下で回復した。直政を養子とし、徳川家に仕えさせたことが後の井伊家繁栄の礎となった
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